客観視
今日の午前中はゲストとお話ししていました。 「廣田さんの会社ってこの前見学させてもらったら とってもいい会社だと思っても
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週末は当社の産業医の上原先生が主催されている
「いっぺん死んでみるワークショップ」を受講しに
会社の有志メンバーと屋久島にいってました。
内容を具体的に把握してとか明確な課題感があってというよりは
せっかく縁があって顧問をお願いした先生が
命をかけて取り組んでいることだしきっといい体験になるだろう
それぐらい漠然とした状況からの企画でした。
「いっぺん死んでみる」のであればその後は思う存分
命を感じてみたいと思った時に浮かんだのが屋久島で
今回は屋久島でのワークショップを企画し
一部自己負担での屋久島行きとなりました。
1日目はワークショップ。
普段からどう生きるかという作用点に向けて
さまざまな研修にでて
「どう生きるのか?」を考えることは好きな方だとおもいます。
ただ、今回は死をみつめ、観念的な捉え方ではなく
具体的な死亡届から始まっていくのもとっても新鮮でした。
いつ死にたいのか?
どう死にたいのか?
などいままで漠然と考えていた、もしくは考えるのを避けていた
「死」というテーマについてリアリティをもって考えていくと
見えてくることがたくさんありました。
穏やかに暖炉の前のゆれる椅子の中で
老いて静かに死ぬという死に方を老衰だとおもっていましたが、
それはどちらかというと突然死と呼び
老衰の現実は徐々に五感の自由が効かなくなっていき
他者に介助されながら生きしんでいくということを聞いたり
病気のなかでも最も恐れていた「がん」
がんで死ぬことの現実の中には
きつくつらい体験だけなく
寿命がわかるなかである種 終わりにむかって
穏やかに歩んでいくそういうケースもあること
そのほか、死にまつわるさまざまなことを聞いて
メンバーとともに死について360度考える
そして今をどう生きるかを考えなおす
そんな時間になりました。
2日目は屋久島歩き
ところが当日はあいにくの雨なので当初の目的よりも
ライトなトレッキング場所へとガイドさんの勧めもあり変更
そんなかでも、屋久島の自然を感じながら「生命力」を思いっきりかんじる
ことができたらいいなと考えていました。
屋久島というとどこか大きい長い年月を重ねた雄大な木々を想像していましたが、
一歩入った森の中には生きている木以外にも朽ち果てた木々もたくさんあって
命というものは今を生きているものだけではなく
死んでいったものもまた次の命の一部となって紡がれていく
まさにそんなことを感じる場所でした。
台風などで倒れた木、そこを苔が覆い苗床としてそこから新しい木々が芽吹く
その命のつながりの一部に自分もいると気づいた時に
いつか死んでいくとしてもまたこうして命がつながっていく
そうしてこの地球はできてきたということを
まさに在り方としてみせてくれるそんな森でした。
雨に濡れないように、かっぱのフードをかぶって、
その上に帽子をかぶってと完全防備でしたが
トレッキングが進むにつれてガイドさんから
「せっかく来たんだしもっと屋久島を感じてみませんか?」
というお声をかけられ、初めは疑い半分だったものの
フードを外すと、風の音がよく聞こえるようになり、
帽子を脱ぐと明るさがまし、森をよりリアルに感じることができ
最後は靴を脱ぐことを勧められて脱いで森を歩いた時は
森の一部になったようなそんな感覚さえ覚えるような
そんな体験となりました。
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