「日本経済新聞」に載りました
ついに!2018年4月8日付の日本経済新聞に載りました!(後ろでぶれてるのが僕です) しかも紙面の半分も使ってです。 掲
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今日から日本での仕事に復帰です。
昨日の帰りの飛行機でそんなことが頭をよぎりました
言葉を使うことで
人間は他者にクリアに伝えれえるようになったのと同時に
明確に伝えることで分断が徐々にでにてきたんじゃないかと
例えば
働くこと
遊ぶこと
もともと言葉がなかった動物だったころは
自分の中にある同じ泉を源泉とした行動だったはずなのに
いつからか言葉ができて
言葉が複雑に分かれていく数千年の経緯を経て
働くことはお金を稼ぐこと 誰かのためにやること
遊ぶことはお金を使うこと(だけでもない) 自分のためにやること
みたいになったところがあるんじゃないかなと
そんなことを考えてました
ちょっと乱暴な言い回しかもしれないけど
もしお金と言葉がなかったら
どうなんだろう
働くことと遊ぶことの根っこは本当に違うことだったんだろうか?
もとはかなり似たものだったのではないかという気がしています
少なくともゲットイットを始めたときは
僕にとって働くことは夢中になるゲーム(遊び)のような感覚でした
どうして仕事は頑張ってやって
遊びで充電するんだろう
どうして平日18時までが仕事で
土日が遊びなんだろう
遊ぶように仕事して
仕事するように遊ぶ
そんな形って単なる理想なのかなって悩んでいます。
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